「わたしたちは神のみ前に日ごとに自らをへりくだらせるべきであり、また、自分の知恵が完全だと感じるべきではない。わたしたちは熱心に働きに取りかかるべきである。わたしたちは神に自分たちをへりくだらせて下さるよう祈るべきではない。なぜなら、神がわたしたちをつかまれる時には、わたしたちが喜ぶことができないような方法でわたしたちをへりくだらせられるからである。そうではなく、わたしたちは日々、自らを神の力強い御手の下にへりくだらせなければならない。わたしたちは恐れおののいて自分自身の救いの達成に努めなければならない。神がわたしたちのうちにご自身の喜ばれる願いを起こさせ、かつ実現に至らせて下さるのであるが、わたしたちはこのお方がわたしたちを通して働かれるときに協力しなければならない。わたしたちは自尊心のうちに自分の魂が高ぶることに対して用心しなければならない。しかし、あなたは次のように言うであろう、わたしはどのようにして自分の心にキリストがおられることを知ることができるだろうかと。もしあなたが批判されたり、あるいはあなたの道を正されて、こうなるべきだと自分が考えるとおりにならないとき、もしそのときにあなたが矯正をしのび、忍耐強く親切である代わりに、激情が起こるのを許してしまうなら、キリストは心のうちに宿っておられないのである。
キリストは人を贖うためにご自身の命を与えるほどの価値を人の上に置いておられる。そしてこのお方はわたしたちの存在のすべての力と機能がご自分に完全に服することを要求される。しかし、わたしたちはカルバリーの十字架によって神がわたしたちを評価される光のうちに自分自身を評価するばかりではない。親切、礼儀、寛容によってわたしたちのへりくだりを示すことを恐れないようにしよう。自己が起き上がって、彼らが誤った報告で傷つけようとしているのは、わたしであると考えないようにしよう。」(レビュー・アンド・ヘラルド1887 年7 月12 日
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