2015年7月16日木曜日

2015年7月16日 神聖な教師があなたのそばに

「神の言葉は命の泉である。あなたが生きた泉をさがし求める時、聖霊によって、キリストとの交わりに入れられる。聞きなれた真理が新しい装いをもってあなたの心に現れ、聖書の聖句は閃光のように新しい意味をあらわすであろう。あなたはあがないのみわざと他の真理の関係を知り、キリストがあなたを導いておられること、神聖な教師があなたのそばにおられることを知るであろう。
 イエスは、「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」と言われた(ヨハネ4-14)。聖霊があなたに真理を開かれる時、あなたはもっとも尊い経験をしっかり胸にいだき、あなたに示された慰めの数々を他の人々に語りたいと切望する。その人々と交際する時、あなたはキリストの品性や働きについて何か新しい思想を伝えるであろう。あなたは主イエスの憐れみ深い愛についてあらたに示され、それを主を愛する人にも愛さない人にも伝えるにようになるであろう。」
                             ~祝福の山 義に飢えかわいている人たち~

今日の朝の御言葉はこの言葉でした

今週、職場の方とタラントのたとえの話になりました。
ある職員礼拝で医師の方が「わたしには1タラントしか与えられていなくて・・」とお話されていました
「え?お医者さんなのに(そのくらい能力があるのに) 1タラント??」
「それはクリスチャンの謙遜じゃないですか」との答え。
「いやいや、謙遜なのは5タラントや2タラントをもらった人の方」との会話になりました

主人は「能力に応じて」タラントを預けたのに、
1タラントもらった人は自分を高く評価し、
「わたしは十分に能力がいっぱいあるのに、1タラントしかくれなかった。」と思っている。
だから主人のことを「まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人」と評している。

5タラント、2タラントをもらった人は特に、「こんな者にこんなに多くのタラントを」
与えて下さった事に感謝して、自発的にタラントを用いている。

いつもの通り、与えられたことは教会で確認、昨日の祈祷会でも牧師さんたちにも聞いていただきました。
今日この事を、思っていたら、
今、与えられている小さな仕事の一つ一つに感謝が溢れ、とっても恵まれました

「聞きなれた真理が新しい装いをもってあなたの心に現れ、聖書の聖句は閃光のように新しい意味をあらわすであろう」
このような出来事がずっと続いていた時に、今日の御言葉に出逢いました
「キリストがあなたを導いておられること、神聖な教師があなたのそばにおられる」

2015年7月4日土曜日

2015年6月28日 聖書研究会旅行

日曜日、教会の聖書研究会で山梨県に行ってきました
梅雨の時期、数日前の週間天気予報では雨でしたが、
この日は抜けるような美しい青空でした。主に感謝でした。


その素晴らしい自然は、とても綺麗でした
行き道、車内で、聖書に書かれている「起こりそうもない」預言が、

数十年~数百年単位で、正確に歴史上で起こってきた出来事を学び、
次に桃狩りで、採りたてのジューシーな桃をいただき、
とびきり美味しいほうとうを昼食で食べてきました。


渋滞にもかからず、病気の人や怪我なども起こらず、皆楽しく、帰ってくることができました。
主のお恵みに感謝でした

2015年7月4日 音楽礼拝

今日は、音楽礼拝でした
家内が歌を遠くの両親に送りたいということで録音することにしました
礼拝が始まる前からあちこちから赤ん坊の泣き声が聞こえます。
また、泣くのが赤ん坊の仕事・・・教会に赤ん坊がいることは良いことだ・・・
と思いつつ、今日はいつになくあちこちから大きな泣き声、話し声が聞こえます
録音しようとしているため、余計に意識されてきました
その声は礼拝始まっても続いていました。
とうとう祈りました。
すると・・・聖歌隊が歌い始める時に、声がなくなっていったのです。
「これは、ほとんどの方々には気がつかないかもしれないけれど、主の大きな御業・・・」
と思っていました。礼拝の最後まで静かだったのです
無事に録音も終了。あとで録音を聞いてみると初めの賑やかな声が消えていった様子がくっきりと残っていました。
しかし、
「見よ、わたしは主である、すべて命 ある者の神である。わたしにできない事があろうか」
主が、驚くべき御業を再び見せて下さり、感謝の涙がポロポロと流れてきました

2015年4月24日金曜日

2015年4月24日 神の絶えざるご配慮

職場で健康祭が開かれることになりました。
しかし、今年は何か盛り上がらない・・・担当部署も外部の監査があるらしく、そちらのほうが気になって力が入れられない・・・との話でした
これは良くない・・・と祈りました。
すると、あちこちからご厚意によって、数百万円もする数々の医療器を健康祭にて使用することができるようになりました。神様に感謝。

今年の自分の担当は、看護師職業体験、子供たちに聴診器や、生体情報モニター、車椅子など看護師の働きを体験させるブースでした。祈りをもって準備を始めたところ、いろいろな方々から次々と良いアイデアが与えられ、絶妙のタイミングで助けが与えられました。ここでも数百万円もする高機能シミュレーターを使用できるようになったり、本当に主に、また多くの方々に感謝でした。
そして、このブースでの働きに集中して祈っていました

さて、今週実際に医療器が病院に届くことになりました。
ところが・・ご担当の方々の様々な事情により、期日に届かないことが2回続きました
しかし、「これは神様が導いておられる」と思いました。 

「神様が導いておられないから、様々な出来事が起こってくるのではなく、神様が導いておられるから、様々なことが起こるのである」そんな言葉も思い出しました。
職業体験ブースに一生懸命で、他のブースの事は祈っていないことを思い出されたのでした。
それは、これらの機器が与えられたのは、神様のお恵みです、イエス様から離れては何一つ出来ないし、一歩も進むことはできません、祈りなさい。ということを私が認めるためでした

「わたしたちの必要とするもの-物質的、霊的祝福-を日ごとに求めるように教えることによって、神はわたしたちが神の絶えざるご配慮に依存していることを認めさせようと望んでおられるのです。それは、わたしたちをご自身との交わりに入れようと望まれるからです。キリストとのこの交わり、すなわち、祈りと、みことばのこの上なく尊い真理を学ぶことを通じて、飢えた魂は養われ、渇く者はいのちの泉でうるおされるのです」 
                        ~祝福の山 あなたがたはこう祈りなさい-主の祈り-~

神様が導いておられる、と思いました。ですので健康祭も大丈夫。そして祈りました。
すると・・・今度はきちんと機器が届き、今日もまた別の2台の機器も無事にきちんと届きました
それは、これらの祝福をお与えくださったのは、神様ですという事を私が認めるように教えてくださっていました。

健康祭、それは本当に素晴らしく祝福されました
天候も、ちょうど良い気候、小さな子供から年配の方々まで大勢の方々が来られました
子供たちも看護師の姿をして、神様の愛について熱心に耳を傾けていました
各種機器にも、時間内に検査しきれないほどの人々がいらっしゃったのでした
主イエス様に感謝でした


サンセット礼拝で 2015年4月18日

安息日に入り、サンセット礼拝で仕事で苦労している家族のために話す御言葉をくださいと祈っていた時、与えられた御言葉でした。
「わたしたちは自分の試練、苦難、不幸、悲嘆を記録しておく必要はない。これはみな書にしるされて天に保管されている。不愉快なことを数えあげているうちに、楽しい思い出が多く忘れられていく。たとえば、絶えずわたしたちを囲んでいる神のあわれみや、天の使も驚くほどの愛、すなわち神がわたしたちのためにみ子を死にわたされたことを忘れてしまう。キリストのために働く者として人よりも心労や試練が多いと感じるとき、こうした重荷を拒否する人々にはわからない平安があることを覚えなさい。キリストの働きには慰めと喜びがある。キリストと共に生きるとき、そこには失敗がないことを世に証明しなさい。~ミニストリーオブヒーリング  人との接触に~」

この言葉を聞いた家族は人に嫌なことでも注意しなければならない立場・・・
「しかし祈りながらしていると、時にかなって言葉をかけることができている。神様に感謝・・・」
と神様に感謝して話していました

2015年4月7日火曜日

2015年3月3日 祈るのをやめなさい 

今日の職場の職員礼拝は、「祈るのをやめなさい」の記事からでした。
もちろん、「絶えず祈る」事を否定しているのではなく・・
ある青年の集まりで、パソコンが必要になり、祈っていたそうです。一人が祈っていると「なぜ、わたしに祈っているか」との御声が聞こえたそうです。その時、彼は自分が2台パソコンを持っていて、1台は使用していないことを思い出しました。そして祈るのをやめて「僕が持っている」と話した・・と言う話でした。人間にできる事を、神様に祈っている事についての教訓、祈っている事を実行する事の大切さを教えている話でした。 

「わたしたちは、悲しみに手をもみ絞る時ではなく、立って働くときである。」
「祈って働かない」のではなく、「祈って力をいただいてもっと働く・・」事を思いました。
さて、この話を聞いていて、少し前、教会の青年の安息日学校で、牧師さんが「パソコンがないんだけど」と聞かれたことを思い出しました。え~?と一瞬思ったのですが、とっさに「祈ってみます」言っていました。
次の週、勤めていた総合病院に職場の師長さんの使用している現役のとっても良いパソコンを下さることになり。
青年会に届けたのでした。

探し物 2015年4月7日

今日は、神様のくすしき大きいお恵みがなかったな~なんて(^^;)
仕事は大変祝福され、血圧計が壊れ、電子音が聞こえなくなった・・・
メーカーに修理に出す・・・・
寸前で「あれ?」と思い、メーカーに問い合わせてみると、故障ではなく、単に操作間違いで音を消す操作をしていたことが判明・・・無事に費用と時間をかけることなく、MEとして恥ずかしいことにもならず感謝でした・・・
などもありながら、そんなこと思っていました
すると・・・本来なら買い替えになる数万円もする聴診器を修理扱いにしてコスト削減するところ、部品をなくしてしまったことを発見!
探してもない・・・謝るしかないか・・・
自分の不注意、お恵みがなかったな~なんて思っていたせいもあり、祈る元気もなく、祈る価値もなく・・・
しかし、今までの数々の不思議なお助けによって助けていただたイエス様のお恵みだけにすがって祈りました。
ふと、探してみると見事に思いがけないところからすぐに部品が見つかりました。
主に感謝・・・
神様は・・・何もかもご存知でいらせられます

2015年3月14日土曜日

2015年3月14日 安息日学校司会

今日は、安息日学校の司会でした
朝、祈祷会に出て、とても祝福され、そして安息日学校に入りました
いつもお世話になる、信仰の色々な試練を通ってこられた方は、受付・・・

先日の安息日、賛美歌礼拝の司会をした時、一緒に歌ってくれると言っていた歌の上手な青年がいました。朝ピアニストと練習をしているとき、
「こうやって人を頼っていると・・・」とピアニストと話していました
さて、本番あちこち探してもその青年はいませんでした。
人を頼ってはいけない・・との神様のお教えと思い、本番へ
すると別の方が直ぐに助けに名乗り出てくれました

そんな経験をしていた事を思い出しながら、部屋へ
新しい方も含め、席はいっぱいでした
そして、学びも御言葉と証を交えて、一人ひとりが話し、和やかな雰囲気で終わりました
主に感謝・・・

終わって、礼拝へ・・・すると舌が痛くなってきました。
思い出しました。舌が痛くて話すのが大変であったことを・・・
朝の祈祷会では本を読むのが痛かったのに・・・

今まで、教会の大切な役目をするたびに、何度もあったことです
主が、痛みをとってくださったのでした。跡形もないように・・・
そして、その御業を忘れないように・・・再び痛みを戻されました
主のいつくしみを教えてくださるために

「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。・・・いつも感謝していなさい。」(コロサイ3-15)。自分の困難や悩みを忘れ、神のみ名の栄光のために生きる機会があることを神に賛美しよう。日ごとにもたらされる新しい祝福を、神の優しい保護の印として賛美の念を心にいだかなければならない。朝、目さめたとき一夜の守りを神に感謝し、心に中にある神の平安を感謝し、朝に昼に夜にかおり高い香水のように感謝を天に上らせなさい。
                                  ~ミニストリーオブヒーリング~

2015年2月14日土曜日

2015年2月14日 安息日 天の声

安息日、とっても恵まれた一日でした
職場の病院で行われている病院の祈りの会
安息日学校、そして礼拝でも力をいただきました

「安息日には、神に対する要求は、他の日よりも大きい。この日には、神の民は、いつもの仕事をやめて、瞑想と礼拝に時を過ごすのである。彼らは、安息日には他の日よりももっと多くの恵みを神に求める。彼らは神の特別な関心を要求する。彼らは神の最上の祝福を切望する。神は、安息日が過ぎるのを待たないで、こうした願いにお答えになる。」 各時代の希望

この約束はいつも真実・・・と思います

さて、
この日の教会はパトラック、皆さんの手作りのおいしいお料理がいっぱいに並びました
食事を手にしていると牧師さんが来られ、「愛する奥さんは?」「お食事取っておいてあげたら?」
とおっしゃられました。
「聖歌隊の練習で1:30まだ戻らないのです」誰もいなくなってから食べるのもどうかと思ったのですが。「取っておいはほうがよろしいでしょうか」と聞くと頷かれたので、取りに行きました
確かに、1:30、他の方は皆さん食事を終えられて帰ってしまわれて、もう誰も食べていない・・
しかし、ソファで不思議と食事の時間も与えられ、家内も信仰のお友達と話しながら、食事をすることができました。牧師さんの声は天の声でした。

『その昔、イスラエル人が礼拝のため集まったとき、主は次のようにお命じになりました。
「あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。」(申命記12:7)と』 キリストへの道

この言葉は、今の教会に来た初めの頃、礼拝後2階の食事に、残ろうかどうかと迷っていた時、
行き道の電車の中で与えられた御言葉。
礼拝、安息日は「主の御前で家族と共に食べ」とありました。これは昼食に残りなさいということかな?
それでも、礼拝後、もしこれで誰かに声をかけられたら天の声ということにしようと思って礼拝堂のの椅子に祈っていたら、それこそあまりよくは知らない教会の方が、通りすがりに
「2階で食事にどうぞ!」と声をかけられ、間違いなく祈りへの応答、それでも躊躇しながら、2階の食堂にいったのでした。
天の声でした。

「あなたの神、主はあなたを祝福されているからである」
こんな価値のない、罪人を祝福されている???

しかし、これを書いていて、さらに強く、はっきりと
確かに「主はあなたを祝福」してくださっていることを実感しています
主イエス様のおめぐみによって・・
「主をほめたたえよ。そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」

安息日が過ぎ去っていくのが惜しい一日でした
「天の栄光と平和、神との交わりの喜びは、人間にはかすかにしか理解されていなかったが、おおうことをなすケルビムであったルシファーにはよくわかっていた。」 ~各時代の希望~

神様との交わりはほんとに喜びあふれたものですが、それでも・・・かすかにしか理解されていないのでしょう

2015年2月13日金曜日

2015年1月23日 両親からの野菜

2014年1月23日
沖縄の両親から、ふたりで作った無農薬、手作りの野菜をいっぱい送ってきました。
本来なら亡くなっていたあの昨年の医療ミスから回復し、元気にしております
主イエス様に感謝です
「わたしは知ります。
 あなたはすべての事をなすことができ、
 またいかなるおぼしめしでも、
 あなたにできないことはないことを。
 『無知をもって神の計りごとをおおう
  この者はだれか』        」ヨブ記

2月9日 安全研修のプレゼンテーション

1月28日、今冬3回目の風邪をひきました。
気分も悪く、咳も、鼻水も・・・幸いに熱はでなかったが、風邪の症状・・
思わず、2月9日にあるプレゼン、これは医療機器の医療安全の話だが
神様が2014年に多くの方々を通してお与えくださった膨大な数々の祝福がずっと書いてある
※2013年も、またその前もたくさんの祝福があったが、2014年も素晴らしかった
「神様、どうか、言葉だけはお守りください」

今回の、風邪もひどかったが、言葉がかすれることはなかった
そして2月9日 無事にプレゼンが終わった。
とっても恵まれたひと時だった。
祈りのことは何も知らない家内が言った。
言葉が「よく通っていた」と。

2015年2月6日金曜日

2015年2月6日 安息日の夕べ

2015年2月6日 金曜日
安息日に入りました。
今日は、沖縄の両親が畑で作られた野菜をいっぱい送ってきてっくださいました
中には、白バラのジャーマンケーキやウムニーも入っていました
家内が、実家に「届いたよ」との電話をかけると言ったので
自分が電話をかけました
義母は「中身がいたんでいなかったか」「ゆでたチンゲンサイから汁は流れていなかったか」
心配していました。感謝に溢れていろいろと話しているうちにすっかり元気になりました
「すべての事について感謝しなさい」
「感謝と讃美の精神ほど心身の健康を増進するものはない。憂鬱、不満な気持ちや思想に抵抗することは、祈ることと同じように積極的な義務である。」~ミニストリーオブヒーリング~
という御言葉も人の幸せのために書かれている事を実感しました
そこでイエス様の十字架のお恵みにも感謝・・・

確か初代文集という本に
イエス様が人類のために十字架に掛かられるという話を天使たちが聞いたとき、喜ばなかった。
しかし、イエス様が、人類のために救いの道が開かれた事を喜ぶようにとご命令された時、
言い知れぬ讃美の歌が天使たちのあいだに起こった・・とあった事を思い出しました
ましてや、その対象である人類がどんなに喜ぶ理由があることか・・・

そんなことを思いつつ、心の中に感謝が溢れてきました

そして、数年間ネットに書いてきた証、「続 小さな証」の昔の誰も読んでいない証を
http://a-small-testimony-series.blogspot.jp/

読んでいくと、憐れな罪人に対する主イエス様の、お恵み、救い、お守り、祝福が生き生きと書かれており、とっても祝福されました

とっても良い安息日の夕べでした

2015年2月3日火曜日

2015年1月30日 力の側には不足はない

先週から、この冬3度目の風邪・・・喉の痛みと、咳と軽い吐き気・・
「またか・・・」
 ところが親身にいろいろしてくれる家内も「喉が痛い」と・・・
家内は責任ある仕事をしているし、結構激務・・・仕事の難題もたくさんある・・・
病人が一番嫌なのは、人にうつすこと・・・自分の症状以上につらい・・
 そこでイエス様に祈りました・・・祈る価値のない者ですが「家内だけは、お助けください」
悩みの時に、私の名を呼べ。わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。
すると、各時代の希望の言葉がふと心に浮かびました
「力の側には不足はない。必要なのは・・・信仰である」
家内にふと思い出した生姜湯を飲ませ・・・

次の日、家内の喉の痛みはすっかり治っていました
主に感謝。自分の風邪はまだですが、心に力をいただきました

2015年1月30日金曜日

試験

2014年11月24日
医学の認定の受験をすることにしました
と言っても、すでに40代後半、20代の勉強方法ではもともと低い記憶力、さらに衰えて・・・とってもとっても・・
しかも、仕事をしながらの受験勉強・・・仕事の疲れもあるし、家庭の時間もある。まとまった時間など取れるはずもない
そこで、教会で習った方法
「彼(ルター)は、自分が神様に依存していることを常に感じていた。そして、毎日祈りを持って一日を始めることを忘れなかった。彼の心は、絶えず、導きと支えとを祈り求めていた。「よく祈ることは、勉強を半ば以上成し遂げることだ」と彼はよく言った。~各時代の大争闘~
祈りを第一、勉強が一番入りやすい時に聖書を読み、安息日にはすべてを忘れ・・・という勉強方法
そして細切れに時間を使う、バスの待ち時間、などなどちょっとした時間や何かをしながら勉強する二宮金次郎や伝説の心医 ホジュンもされていた方式・・・
「ただ時間を重んじればよいのである。なんのあてもないむだ話、朝、床の中で浪費する時間、約束の時間に来ない人を待つ間などの時間を、本を手にしていて、研究、読書、思索などに活用するならば、どのようなことがらがなしとげられるかわからない。~キリストの実物教訓~
12月24日
無事に合格しました
「まず、神の国と神の義を求めなさい。 そう すれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう。」 マタイによる福音書6-33
主イエス様に感謝です
試験は手段、目的は患者さんにより良いサービスをすることが目的ですが・・・勉強で、行き詰っている時のご参考になればよいなか?と思いました