「神の言葉は命の泉である。あなたが生きた泉をさがし求める時、聖霊によって、キリストとの交わりに入れられる。聞きなれた真理が新しい装いをもってあなたの心に現れ、聖書の聖句は閃光のように新しい意味をあらわすであろう。あなたはあがないのみわざと他の真理の関係を知り、キリストがあなたを導いておられること、神聖な教師があなたのそばにおられることを知るであろう。
イエスは、「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」と言われた(ヨハネ4-14)。聖霊があなたに真理を開かれる時、あなたはもっとも尊い経験をしっかり胸にいだき、あなたに示された慰めの数々を他の人々に語りたいと切望する。その人々と交際する時、あなたはキリストの品性や働きについて何か新しい思想を伝えるであろう。あなたは主イエスの憐れみ深い愛についてあらたに示され、それを主を愛する人にも愛さない人にも伝えるにようになるであろう。」
~祝福の山 義に飢えかわいている人たち~
今日の朝の御言葉はこの言葉でした
今週、職場の方とタラントのたとえの話になりました。
ある職員礼拝で医師の方が「わたしには1タラントしか与えられていなくて・・」とお話されていました
「え?お医者さんなのに(そのくらい能力があるのに) 1タラント??」
「それはクリスチャンの謙遜じゃないですか」との答え。
「いやいや、謙遜なのは5タラントや2タラントをもらった人の方」との会話になりました
主人は「能力に応じて」タラントを預けたのに、
1タラントもらった人は自分を高く評価し、
「わたしは十分に能力がいっぱいあるのに、1タラントしかくれなかった。」と思っている。
だから主人のことを「まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人」と評している。
5タラント、2タラントをもらった人は特に、「こんな者にこんなに多くのタラントを」
与えて下さった事に感謝して、自発的にタラントを用いている。
いつもの通り、与えられたことは教会で確認、昨日の祈祷会でも牧師さんたちにも聞いていただきました。
今日この事を、思っていたら、
今、与えられている小さな仕事の一つ一つに感謝が溢れ、とっても恵まれました
「聞きなれた真理が新しい装いをもってあなたの心に現れ、聖書の聖句は閃光のように新しい意味をあらわすであろう」
このような出来事がずっと続いていた時に、今日の御言葉に出逢いました
「キリストがあなたを導いておられること、神聖な教師があなたのそばにおられる」
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