安息日、とっても恵まれた一日でした
職場の病院で行われている病院の祈りの会
安息日学校、そして礼拝でも力をいただきました
「安息日には、神に対する要求は、他の日よりも大きい。この日には、神の民は、いつもの仕事をやめて、瞑想と礼拝に時を過ごすのである。彼らは、安息日には他の日よりももっと多くの恵みを神に求める。彼らは神の特別な関心を要求する。彼らは神の最上の祝福を切望する。神は、安息日が過ぎるのを待たないで、こうした願いにお答えになる。」 各時代の希望
この約束はいつも真実・・・と思います
さて、
この日の教会はパトラック、皆さんの手作りのおいしいお料理がいっぱいに並びました
食事を手にしていると牧師さんが来られ、「愛する奥さんは?」「お食事取っておいてあげたら?」
とおっしゃられました。
「聖歌隊の練習で1:30まだ戻らないのです」誰もいなくなってから食べるのもどうかと思ったのですが。「取っておいはほうがよろしいでしょうか」と聞くと頷かれたので、取りに行きました
確かに、1:30、他の方は皆さん食事を終えられて帰ってしまわれて、もう誰も食べていない・・
しかし、ソファで不思議と食事の時間も与えられ、家内も信仰のお友達と話しながら、食事をすることができました。牧師さんの声は天の声でした。
『その昔、イスラエル人が礼拝のため集まったとき、主は次のようにお命じになりました。
「あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。」(申命記12:7)と』 キリストへの道
この言葉は、今の教会に来た初めの頃、礼拝後2階の食事に、残ろうかどうかと迷っていた時、
行き道の電車の中で与えられた御言葉。
礼拝、安息日は「主の御前で家族と共に食べ」とありました。これは昼食に残りなさいということかな?
それでも、礼拝後、もしこれで誰かに声をかけられたら天の声ということにしようと思って礼拝堂のの椅子に祈っていたら、それこそあまりよくは知らない教会の方が、通りすがりに
「2階で食事にどうぞ!」と声をかけられ、間違いなく祈りへの応答、それでも躊躇しながら、2階の食堂にいったのでした。
天の声でした。
「あなたの神、主はあなたを祝福されているからである」
こんな価値のない、罪人を祝福されている???
しかし、これを書いていて、さらに強く、はっきりと
確かに「主はあなたを祝福」してくださっていることを実感しています
主イエス様のおめぐみによって・・
「主をほめたたえよ。そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」
安息日が過ぎ去っていくのが惜しい一日でした
「天の栄光と平和、神との交わりの喜びは、人間にはかすかにしか理解されていなかったが、おおうことをなすケルビムであったルシファーにはよくわかっていた。」 ~各時代の希望~
神様との交わりはほんとに喜びあふれたものですが、それでも・・・かすかにしか理解されていないのでしょう
0 件のコメント:
コメントを投稿